コペル書評

読んだ本の感想をメモ。ときどき映画も。

東大を卒業した僕がパチンコ屋に就職した理由 | 珍しくない就職先

東大をはじめ有名大学を卒業した若者たちが、なぜパチンコ屋に就職したのか。6人のインタビューを交えて、就職後の日々を紹介した本。

ちなみに、就職先のパチンコ屋は大手パチンコチェーンなので、大企業なみの待遇かも知れない。

 

東大を卒業した僕がパチンコ屋に就職した理由

東大を卒業した僕がパチンコ屋に就職した理由

 

 ※本の表紙を飾っているイケメンはモデルです(笑

実は巨大産業の優良企業

パチンコ業界は20兆円ともいわれる規模があり、大手チェーンは超優良の大企業。つまり、世間体を抜きで言えば、高学歴の若者の就職先として、まったく不思議ではない。

本書に登場する6人も、パチンコ屋に就職することについて、それほど深い葛藤はなかったような感じ。エンタメ業界に就職するようなノリだったので拍子抜けした。

ご父兄が反対したケースもあったが、さすが大手のパチンコチェーンだけあって、両親を説得するための会社紹介DVDを実家に送るなど、対応に抜かりがない。

まあ、優秀な人材を集めるためだから、そのくらいはやるでしょう。

仕事本として純粋に面白い

本書の作者が法人名になっているが、パチンコ業界のPR会社?のような存在らしい。つまり、本書はパチンコ業界のイメージアップを図るために作られたと考えて間違いない。

まあ、それはそれとして、本の内容は純粋に面白かった。

新卒の若者が、仕事の喜びや挫折を経験しながら成長していくという。写真や実名も込みで、ドキュメンタリータッチになっている。

仕事の内容を覗き見るという意味では「業界もの」でもあり、若者の成長という意味では「青春ドキュメント」でもある。

つくづく思ったのは、パチンコ屋の店員さんの仕事も奥が深いということ。大当たりの札を差すくらいしか印象がないけど(昔のパチ屋)、必要とされるスキルは限りない。出世して管理職になれば、なおさらである。

若者たちの奮闘の様子を読むと、頭が下がる思いがする。

パチンコ依存の問題

パチンコ屋といえば、やはりパチンコ依存の問題は避けて通ることはできない。

本書の中にはほとんど記述がなかった。一部、パチンコ屋は勝ち負け以外の目的で訪れる人もいるといった内容があった。老人たちのコミュニケーション空間として機能しているという。

地方ではそういうこともあるだろうけど、依存問題はあまりにも深い。厚生省が発表したところでは、日本のギャンブル依存者は500万人ともいわれていて、けっこう洒落にならない段階にある。

パチンコ屋がエンターテイメント業界として軟着陸するのは、時期を逃した感がある。射幸性が高まる前にゲーセン化できれば良かったのだが、もう引き返すことはできない。依存問題は社会の中で膨らみ続けているので、今後のパチンコ業界は視界不良だ。

しかし、20兆円の業界ともなれば、働いている人の数も膨大になっている。その一人一人に人生がある。

パチンコ屋で頑張って働いている人たちに責任はないので、働く人とパチンコ依存問題とは切り離す必要があるだろう。

ある日突然40億円の借金を背負う―それでも人生はなんとかなる。|映画化希望

父親の急死によって事業をつぐことになり、決算書を見たら40億の借金。どん底の中でぎりぎり踏みとどまって、見事復活した男の記録。

ある日突然40億円の借金を背負う――それでも人生はなんとかなる。

ある日突然40億円の借金を背負う――それでも人生はなんとかなる。

 

 過去5年に読んだ数々の書籍の中で、もっとも衝撃を受けたのが本書。

私自身も借金に苦しんだ経験があり、今も状況が良くないので、本書に強く共感した。

絶望状況の心理描写

返せるあてのない借金を背負って、債権者に頭を下げて回り、金策に走り続ける日々。

末期の中小経営者にありがちなことだが、こういうとき人はどういった心理状態なのか。

そのことが非常によくわかる。

一言でいえば、死にたいとは思っていないのに体が勝手に自殺しようとする状態だ。まったく死ぬことなんて考えていないのに、体が勝手に駅のホームから落ちようとする。

本書にも書かれていたが、自殺者した人々の中には、そのようにして命を失った人がけっこういるのではないか。

追い詰められるとはそういうことなのである。意識できる以上に辛い日常を送っていると、無意識が死んで楽になりたいと行動してしまう。

本書は、抱えきれな借金を背負った人の苦しみを実体験から記録している。実に貴重な記録である。

流されていく描写

事業を継ぐことになった経緯もリアルだ。著者はぜったいに父の事業を継ぎたくなかった。継ぐことを怖れてさえいた。

しかし、いざ父親が急死すると、印鑑を押す人が他にいないので流されるように社長の作業をしてしまった。

母に辛い作業を押し付けることもできず、流されるままに事業を継ぐことになってしまう。

現在の著者なら知識や行動力がそなわっているので、当時の状況に置かれたら、困難であっても清算手続きに奔走しただろう。

しかし、何も知らない30代の青年は、その決断に踏み切れないのだ。

これも実にリアルな描写であり、世間には「破産すればいいじゃないか」なんて気軽に言う人間がいるが、現実はそんなに簡単なものではない。

この点でも貴重な記録である。

このまま映画になる

本書には印象の残るシーンばかりだ。

  • 従業員が会社の金を横領している。しかし、やめられたら店を開けることができないから、社長である著者がその従業員に謝ってしまう。
  • 銀行から返済を強要されたら即破産となるので、銀行との交渉に神経を尖らせ、電話がなるたびに怯える。
  • 天気が悪いと店の売上が減り、金策に窮する。テレビが天気予報で雨を伝えると発狂しそうになる。
  • あらゆる場所に「きけわだつみのこえ」を置いて、特攻した方々の無念を思うことで、ぎりぎりの精神状態を支える。

これはもう映画化すべきでしょう。本人だから書けるようなリアルな描写なので、さらっと読んだだけでも一生忘れることができないシーンばかり。

挽回の施策が参考になった

こんな絶望的な状況の中で、著者のとった行動がすごい。

  • 期限を5年と決めて、状況が変わらなければ清算する。その5年間は借金が増えても気にしない。
  • 毎日襲ってくるトラブルから逃れる時間をつくって、そこで長期的な戦略を練る。
  • 成功モデルを作るために1店に注力し、他の店舗は放置。
  • 成功した1店舗ができたら、店舗数を減らして、縮小しながら展開していく。

上記4つは、経営者だけでなく、あらゆる苦境にある人に大きなヒントになる。

私も現在の苦境を挽回する勇気が出てきた。

苦境にあるとどうしてもトレードオフが認識できなくなる。なんでもいいから手当たりしだいにやりたくなってしまう。しかし、そんなやり方が通用する段階ではない。

決断するしかない。

本書からその覚悟をもらった。

一生手元に置いておきたい本である。

マンガで読む名作「どん底」 | 不安と無気力と気晴らし

 文学・古典を漫画化したシリーズといえば「まんがで読破」が有名だけど、最近になって「マンガで読む名作」もよく見かける。

「マンガで読む名作」シリーズは、タイトル数こそ少ないけど、漫画のクオリティがめちゃくちゃ高い。

今回読んだのは、以下の作品。ゴーリキーの名作「どん底」。

マンガで読む名作 どん底

マンガで読む名作 どん底

 

 帝政末期のロシアにおける最下層の民衆を描いている。

あらゆるタイプの最下層が出てくる。

  • 酒に逃げる人
  • 妄想に逃げる人
  • 犯罪を犯す人
  • 病弱で虚無に陥った人
  • 経歴を偽るほら吹き
  • 職人の小さなプライドに逃げ込む人
  • 底辺層から搾取する底辺層
  • 家族に虐待されて逃げ出せない人

リアリティがすごい。

特定の主人公がいるわけではなく、木賃宿(きちんやど:最下層の安宿)を舞台として、それぞれの人物がお互いを傷つけながら、狭い人間関係でドラマを繰り広げる。

どん底に陥った人の価値観

印象に残ったシーンがある。

登場人物の中に元職人がいる。勤勉に働くことに誇りをもっていて、金にならない作業に精を出している。

その元職人は、「勤勉」という世間の価値観を内面化している人物だ。どん底にいながら、周囲の人間を軽蔑している。

その元職人にたいして、盗人がいう。

人間ってのはな。誰でも他人が良心を持つことを望むんだ。自分が持っていたって、一銭にもならねえ

このセリフで重要なのは、その元職人の惨めさが際立っていることだ。どん底にいるのに、無意味な仕事を続けている姿は、価値観の奴隷といってもいいほど。

つまり、世間の価値観を後生大事にもっていたって、どん底の生活がより惨めになるだけなのだ。

リアリティとはこういうものなのでしょう。

どん底にいる人たちはいつの時代も似ている

あらゆるタイプの底辺層を描きながら、彼らに共通していることがある。

それは不安と無気力と気晴らしだ。

いくら貧しい底辺にいるからといって、彼らは飢餓に陥っているわけではない。

ある者は体を売り、ある者は盗み、ある者は賭け事でいかさまをやり、ある者は仲間の恩情にすがる。

誰もが、なんとか食っている。

しかし、彼らは総じて無気力であり、酒や歌やほら吹きで気晴らしをして過ごしている。

これって、今の時代の日本だって同じではないか。

ロマノフ王朝時代の底辺層であろうが、豊かな時代の日本の庶民であろうが、「どん底」は同じなのだ。

食ってはいける。しかし、社会的に脆弱な立場にいて、将来に不安しかない。無気力であり、気晴らしをすることで不安から目をそらし、日々、時間を潰している。

酒や妄想やゲームで気晴らしする人もいれば、上記の元職人のように無意味な仕事で気晴らしをする人もいる。

どの時代であっても、どの国であっても、「どん底にいる人々」はそのようなものだろう。リアリティを突き詰めると、普遍的な姿が浮かび上がってくるのだろうか。

今の日本に「どん底」はありふれている。もしかしたら、私も貴方もどん底にいるのかも知れない。

真実は人を救わない

この作品には「自殺」のシーンが2つ出てくるのだが、真実を知ってしまった、あるいは求めてしまったことに関係がある

気晴らしをやめて、現実と向き合った先は、悲惨しかない。

ゆえに、「どん底から抜け出るために気晴らしをやめよう」なんていうチープな自己啓発まがいの価値観は、いっさい引き出すことができない作品になっている。

アルコールに逃げた人間が、現実に向かって進めば、この世から旅立つことになってしまう。

だからこそ、どん底なのだ。

現実(=不安=真実)から逃げ出したから「どん底」なのではない。現実と向き合ってしまえば救われないから「どん底」なのだ。

もしかしたら、誰もが「どん底」で生きているのではないか。

石田徹也全作品集 | 現代の閉塞感がびんびん伝わる

石田徹也という画家を最近知った。

一度見たら忘れられない強烈な印象を残す画家。

絵を見た瞬間に「石田徹也」という名前が浮かぶほど、個性的なスタイルを確立している。

彼は若くして他界している。踏切事故ということだが、作風からして自殺ではないかと直観的に感じてしまう。(明確にそう伝えたメディアはなかったと思う)

彼は生前から一定の評価をされていたが、亡くなってから数年後にテレビ番組が組まれて知名度が上がったという。

 

石田徹也全作品集

石田徹也全作品集

 

 彼の絵は、以下の公式ホームページでも見ることができる。


上記の作品集には、大きな画像で、かなり数多くの作品が掲載されている。図書館で見たのだが、くらくらするような目まいを覚えた。

超現実的な描写がされているのだが、すべての絵に共通しているのは、閉塞感だろうか。

切ないほどの閉塞感であり、絵を見ていて「のめり込んだら危険ではないか?」という防衛反応すら呼び起こされたほど。

とにかく、彼のような絵は見たことがない。

彼が長生きして、作風の変化を観たかったけど、早世したのは本当に残念でならない。

多くの人に彼の作品を見てほしいと思った。

 

日本残酷物語 | 私が知っている日本はほんの一部だった

 民俗学者宮本常一に最近はまっている。著書を探しているうちに辿り着いたのがこのシリーズ。

貧しさ、悲惨さ、犯罪。そういった日本の暗黒面を真正面から書いている。日本を理解するうえで欠かせない貴重な記録。

日本残酷物語〈1〉貧しき人々のむれ (平凡社ライブラリー)

日本残酷物語〈1〉貧しき人々のむれ (平凡社ライブラリー)

 

 もともとは1959年に発行された本。日本が高度成長に入る前に、この企画があったことに驚く。

その後、1995年に文庫化されたのが本書だけど、写真や地図が削除されたらしい。まあ、理由は言うまでもないでしょう。内容が内容だけに。

発展途上国の悲惨

1巻から5巻まであって、すべて読んだけど、とにかく面白かった。ほとんどの記述は、江戸時代から明治あたりまでの時代を対象としているけど、知らない日本が目白押し。

結局のところ、私が自分の経験で知っている日本というのは、生まれて物心がついてから。つまり、先進国となって以降の日本なのだ。

生まれる前の日本の知識は、大河ドラマとか、歴史書籍、漫画から得たものが多い。そういうのはみんな綺麗な日本を取り上げたものばかり。

しかし、本書に書かれている日本は、「悲惨」「残酷」な側面を徹底的に掘り下げたもの。

その悲惨さというのは、一言でいえば、すべて「貧しさ」が原因といえる。貧しいから飢える、飢えるから子供を捨てるし、体を売るし、人を殺す。

こういう残酷な歴史は、発展途上国ではありふれた現実であって、日本もちょっと昔は発展途上国であり、人々は過酷な現実を生きていたのだった。

現代に垣間見える亀裂

このシリーズで印象に残っているのは、自殺について。とにかく、貧しくて自殺する、という内容が散見された。

他の国はどうか知らないけど、日本は生活苦で自殺するケースが多いような気がしてならない

それって、現代でも実は続いていることでもある。日本では毎年3万人が自殺して、経済的な理由によるものが3割くらいあると推測されている。

残酷な現実は、けっして過去のものではない。ただ、昔はあまりにも、ありふれていただけだ。

昔も今も、人々はぎりぎり生き抜いているだけではないか。

 

できる研究者の論文生産術 | 大量に書くには決まった時間に書くしかない

 どうすれば文章を大量に書けるか。多くの人がこのことに悩んでいると思う。ブログのような趣味はもちろんのこと、仕事でも「書く」機会は無数にあるから。

そんな疑問に真正面から答えている本を紹介します。

できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか (KS科学一般書)

できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか (KS科学一般書)

 

 タイトルに「研究者」「論文」とあるけど、どんなジャンルであっても通用する内容なのでご安心あれ。

著者が心理学の研究者であり、自身の経験を踏まえているので、「論文をたくさん書く」という具体例になっているだけ。

ブログだろうと、会社の企画書・提案書だろうと、あるいは小説であろうと通用する内容です。

 大量に書くためには決まった時間に書くしかない

本書の結論は1つ。たくさん書くためには、決まった時間に書くしかない。とにかく、この結論が骨の髄まで納得できるようになっている。

「インスピレーションがわいたら書く」とか「気分がのっているときに書く」とか「締め切り前の方が集中力が出る」とか、そういうのは幻想なのである。

心理学の実証研究でも、文章のアイディアとかインスピレーションは、強制的に書いているときにわいてくるという。「インスピレーション」を待つとか、「気分」になるまで待つなんて、まったく非科学的な態度なのだ。

決まった時間に書き続けることが、「たくさん書く」ことにつながり、たくさん書くから内容面も向上する。

まとめ書きは絶対に禁止

たくさん書けない人に共通することがある。それは、まとめて書こうとすること。

たとえば、1か月後に会社の企画書を提出するとしたら、直前の土日で一気に書こうとする人が多いはず。大学生なら、レポートや卒論の提出期限の間際になって、徹夜で書く人が多い。

この「まとめて書く」という発想が、書けない人の発想なのだ。まとまった時間があるからと、先延ばしして、締め切りに追われる。

本書で勧めているのは、コツコツ決まった時間に書くこと。1か月後に締め切りなら、毎日1時間決まった時間に書く。

これができるようになれば、びっくりするほど大量に書けるようになるという。

まー、よく考えれば当たり前ですな。まとめてやろうとするのは、できない人の発想です。

資格試験も同じ。落ちる人は決まって直前にまとめて勉強しようとする。毎日コツコツ勉強すれば誰でも受かるような試験ですら落ちることになる。

書くことは歯磨きと同じ

本書を読んでいて気づいたのは、人は書くことを特別視しがちなんだなということ。

 文章を書くことは、歯磨きをしたり、寝る前に布団を引いたり、風呂に入るために洋服を脱ぐのと同じ。だから、淡々と機械的にやればいいだけ。

なのに、私も含めて、多くの人は書くことにロマンを持っている。その結果、コツコツと淡々と書くことができない。つい先延ばししてしまう。

なぜか。

私が思うに、自分の内面を過大評価しているからではないか。

書くというのは、内面を他者に見せる意味合いがある。自身の内面を過大評価している人は、他者からの反応が気になって身構えてしまうのではないだろうか。

読み手からみれば、著者の内面なんて興味ないし、そもそも文章の内容なんて3分後には忘れてる。他人が書いた文章なんて、たいした価値はない。

それがわかっているんだけど、やっぱり書くことには独特のストレスがあり、筆は進まない。だから、とにかく、毎日○時から○時は執筆の時間と決めて、書き続けるしかないのだろう。

これはブロガーでも同じだと思う。気が向いたときに書こうとすると、意外なほど書けない。

このブログだって、週に1度の更新さえできてない。書き始めれば30分もかからない記事ばかりなんだけど。

毎日、夕食後の30分間はこのブログの更新をする。そう決めて書いていれば、今ごろ1000記事はたまっていたでしょう。気が向いたときに書いてきたから、このブログをはじめて3年たつのに29記事しかありません。

すぐやる人は、うまくいく。| 軽めの文体が心地よい

 

エア先輩

著者の中谷彰宏氏は、過去に900冊以上の本を出版してきたという。内容は、軽めのアドバイス集ばかり。

「出版」というものに何らかのロマンを持っている人は、著者の多作ぶりに腹が立つはず(笑。ブログ記事程度の内容で、大量に出版して荒稼ぎするなんて!私の記憶が確かなら、20年近く前から、テレビで批判されていた。

しかし、実際に読んでみると、そんなに馬鹿にしたもんじゃない。こういった軽めのアドバイスが読みたいときだってあるし、読んだ人の心にヒットすることもある。

本書は「すぐにやる」ことを勧めている自己啓発本。類書にあるような「心理学の引用」とか「掘り下げた話」とか「目の覚める経験談」は、ほとんど書かれていない。

会話しているような軽めの文体で、どこまでも平易な内容。むしろ、現代のブログ記事を先取りしてきたのが著者かもしれない。

著者の本のテイストは、仕事のできる先輩が飲み屋で後輩にアドバイスするような感じ。これはこれで、いいんじゃないかと思う。

私は自営業なので、気軽に仕事のアドバイスをもらえる先輩がいない。代わりに著者のような読みやすい自己啓発本を読むことがよくあります。エア(実在しない仮想的な)先輩といったところ。

優先順位をつけるから遅くなる

著者は「来た順にやる」ということを勧めている。仕事の優先順位なんてつけるものではないと。

「どれをやるのが一番儲かるか」とか「将来的に大きくなるか」とか「効率的か」とか、そういう小賢しいことを考えるべきではない。仕事の順序は神の采配なのだから、来た順にやることで予想もできないようなシンクロがおきる。 

最近になって、心の底から「その通り」だと思えるようになった。

頭で考えれば考えるほど、自分の狭い世界観の枠に入ってしまう。

  • どれを選べば儲かるか
  • どれを捨てれば無駄骨がないか
  • どれやれば得をするか

そういうことを考えたら負けなんだよね。多くのチャンスを棒に振ることになる。もっと運命に身をゆだねて、縁あって自分に近づいてきたものを公平に扱った方がいい。

仕事が来た順にテキパキとやっていった方が、あれこれ優先順位をつけるよりも多くのものが得られると思う。

考えている時間ほど無駄なものはないと、この歳になってつくづく思います。