マンガで読む名作「どん底」 | 不安と無気力と気晴らし
文学・古典を漫画化したシリーズといえば「まんがで読破」が有名だけど、最近になって「マンガで読む名作」もよく見かける。
「マンガで読む名作」シリーズは、タイトル数こそ少ないけど、漫画のクオリティがめちゃくちゃ高い。
今回読んだのは、以下の作品。ゴーリキーの名作「どん底」。
帝政末期のロシアにおける最下層の民衆を描いている。
あらゆるタイプの最下層が出てくる。
- 酒に逃げる人
- 妄想に逃げる人
- 犯罪を犯す人
- 病弱で虚無に陥った人
- 経歴を偽るほら吹き
- 職人の小さなプライドに逃げ込む人
- 底辺層から搾取する底辺層
- 家族に虐待されて逃げ出せない人
リアリティがすごい。
特定の主人公がいるわけではなく、木賃宿(きちんやど:最下層の安宿)を舞台として、それぞれの人物がお互いを傷つけながら、狭い人間関係でドラマを繰り広げる。
どん底に陥った人の価値観
印象に残ったシーンがある。
登場人物の中に元職人がいる。勤勉に働くことに誇りをもっていて、金にならない作業に精を出している。
その元職人は、「勤勉」という世間の価値観を内面化している人物だ。どん底にいながら、周囲の人間を軽蔑している。
その元職人にたいして、盗人がいう。
「人間ってのはな。誰でも他人が良心を持つことを望むんだ。自分が持っていたって、一銭にもならねえ」
このセリフで重要なのは、その元職人の惨めさが際立っていることだ。どん底にいるのに、無意味な仕事を続けている姿は、価値観の奴隷といってもいいほど。
つまり、世間の価値観を後生大事にもっていたって、どん底の生活がより惨めになるだけなのだ。
リアリティとはこういうものなのでしょう。
どん底にいる人たちはいつの時代も似ている
あらゆるタイプの底辺層を描きながら、彼らに共通していることがある。
それは不安と無気力と気晴らしだ。
いくら貧しい底辺にいるからといって、彼らは飢餓に陥っているわけではない。
ある者は体を売り、ある者は盗み、ある者は賭け事でいかさまをやり、ある者は仲間の恩情にすがる。
誰もが、なんとか食っている。
しかし、彼らは総じて無気力であり、酒や歌やほら吹きで気晴らしをして過ごしている。
これって、今の時代の日本だって同じではないか。
ロマノフ王朝時代の底辺層であろうが、豊かな時代の日本の庶民であろうが、「どん底」は同じなのだ。
食ってはいける。しかし、社会的に脆弱な立場にいて、将来に不安しかない。無気力であり、気晴らしをすることで不安から目をそらし、日々、時間を潰している。
酒や妄想やゲームで気晴らしする人もいれば、上記の元職人のように無意味な仕事で気晴らしをする人もいる。
どの時代であっても、どの国であっても、「どん底にいる人々」はそのようなものだろう。リアリティを突き詰めると、普遍的な姿が浮かび上がってくるのだろうか。
今の日本に「どん底」はありふれている。もしかしたら、私も貴方もどん底にいるのかも知れない。
真実は人を救わない
この作品には「自殺」のシーンが2つ出てくるのだが、真実を知ってしまった、あるいは求めてしまったことに関係がある。
気晴らしをやめて、現実と向き合った先は、悲惨しかない。
ゆえに、「どん底から抜け出るために気晴らしをやめよう」なんていうチープな自己啓発まがいの価値観は、いっさい引き出すことができない作品になっている。
アルコールに逃げた人間が、現実に向かって進めば、この世から旅立つことになってしまう。
だからこそ、どん底なのだ。
現実(=不安=真実)から逃げ出したから「どん底」なのではない。現実と向き合ってしまえば救われないから「どん底」なのだ。
もしかしたら、誰もが「どん底」で生きているのではないか。