コペル書評

読んだ本の感想をメモ。ときどき映画も。

ヤフオクで稼ぐための42手法 | ヤフオクは副業に最適かも知れない

 

 

最近はキンドルで本を買うことが多い。この本もキンドルブックだけど、なかなか役に立った。

こうやって売ればいいんだよでも書いたけど、私はヤフオクで仕入れ販売をやっています。趣味的なものだけどね。

稼げる商品は何か。仕入先はどこか。こういう情報をたびたび探して、いろいろトライしてます。

何かヒントが得られればいいなと思って、上記の「42手法」という本書を読んで見たけど、自分がまったく知らない情報がいくつかあった。

自分は家電系ばかりだったので、ファミリーセールは知らなかった。これは良さそうなので、こんどやってみます。あとお小遣い稼ぐ系も試してみるかな。

ファミリーセールは招待券が普通に手に入るんですね。こんな情報が広まったら、転売目的ではなく、普通の消費者でも殺到すると思う。

稼ぐ方法はいろいろあるが突き抜ける必要あり

ヤフオクに限らず、稼ぐ方法ってのはいろいろある。だけど、すべての手法を広く浅くやるのは無駄が多い。

やっぱり、稼げるか、稼げないかの境界ってのは紙一重であって、「稼げるゾーン」に入り込むには、その方法について突き抜ける必要がある。

突き抜けるっていうのは、トライアンドエラーを繰り返して、仮説検証を繰り返して、ともかく稼げるレベルまでもっていくということ。

本書を読んで思ったのは、新品転売と中古転売はそれぞれ次元の異なる活動だということ。

売っている人たちって、まったく違う惑星の住人というくらい違うはずだ。頭の使い方とか、行動の仕方がまったく異なる。

適性があるとしたらどちらか一方だから、新品を扱うか、中古を扱うか、決めた方が良さそう。自分は趣味的にやっているけど、本業でやるなら、なおさら。

どちらかに絞った方が、稼げるゾーンに入るのは確実に早い。

節約もいいけど、稼いだ方が早い

あと、小遣い稼ぎの章もけっこう参考になって、どんなものでも売れるんだなと思った。株主優待でも無料サンプルでも。

稼げる金額は些細なものだとしても、何もしないよりは、ガンガン出品した方がいいわ。

特に、株主優待については、今まで買い付け余力を無駄にして、もったいなかったなと思った。クロス取引で小銭稼いだ方がよかった。

なぜって、日々の暮らしで、1万円の使い方に迷っているでしょ。そんな迷っている時間があったら、1万円くらい稼げるんだわ。消費をケチるための節約に時間を使っているくらいなら、その金額をあっさり稼いだ方がいいです。

さすがに真似はできない手法もある

フィギア改造(笑。

そうですか。そういう世界があるんですか。売る気はないけど、買いたくなりましたよ。

世の中、広いでね。

どんな人がやっているのか、ちょっと会ってみたい。

この本は充分、楽しむことができました。

「幸せをお金で買う」5つの授業 | 一読すれば、「もっと金が欲しい」という発想が消える。

 

「幸せをお金で買う」5つの授業 ―HAPPY MONEY

「幸せをお金で買う」5つの授業 ―HAPPY MONEY

 

本書のテーマは、お金の使い方によって幸福感がどのように変わるか。

 幸福を考えるときに絶対にお勧めの1冊。

5つの授業を簡単にまとめると・・・

  1. モノを買うより経験を買う方が幸福感を得やすい。
  2. 購入を先延ばしした方が幸福感を得やすい。
  3. お金を使うときは、時間への影響を重視する。(時間の方が大切だから)
  4. 先に支払って、あとで消費するようにする。
  5. 他人のためにお金を使うと幸福感を得やすい。

上記のまとめでは収まらないほど、本書は示唆に富む内容に満ちています。

思い出せることが幸せな時間

幸福とは何か?っていう問題がある。

「幸福と感じていること」が幸福には違いない。では、どんなときに幸福と感じるか。

たとえば、懐かしく思い出せることは幸福なことなのだ。

そして、懐かしく思い出せることは何かといえば、モノの記憶ではなく過去の経験なのである。

xn--3kq96f810a.jp

1番「モノを買うより経験を買う方が幸福感を得やすい」については、多くの人が気づいていることかも知れない。

経験の方がはるかに幸福に思い出せるわけだから、お金を使うならモノではなく、経験を重視すべきだ。

これは、3番「お金を使うときは、時間への影響を重視する」にも関係していて、何かを買ったために時間を奪われたら意味がないという話。

プールつきの豪邸を郊外に買うのは、素晴らしいことに思える。しかし、そのせいで毎日3時間の通勤時間を強いられたら、果たして幸せだろうか。日々の時間の使い方は、貧しくなっていないだろうか。

幸せは持続しない

2番「購入を先延ばしした方が幸福感を得やすい」と4番「先に支払って、あとで消費するようにする」の本質は、幸福は持続しないということ。

ベンツを買ったとしても、どうせ数日から数週間で慣れてしまうので、幸福感は持続しない。だったら、できるだけベンツが手元にある状態を先延ばしした方がいい。

ベンツのカタログを見て、期待に胸を膨らませている時間こそ幸福なのだ。だから、買うのをできるだけ先延ばしして「ご褒美」にする。あるいは、金を支払ってから、消費するのを「おあずけ」する。これが幸せを買うということ。

買い物依存の人は、次から次へと欲しくなるという。買って消費してしまえば、すぐに満足感は消える。また次のものが欲しくなるのは当然のこと。不幸な人としか言いようがない。

愛することが幸せ

5番「他人のためにお金を使うと幸福感を得やすい」については、もう人間の性質として遺伝子にインプットされていること。

愛されるより愛することが幸せ。自分のために金を使うより、愛する子供のために金を使うほうが幸福感は強いし持続する。

ほんの100円を恵まれない人に寄付しただけでも、生きている幸福感は増すのである。

興味深いのは、このポイントを「投資」と結び付けていること。株式投資だって、やりようによっては、「他人のために金を使うこと」と言える。好きな企業に投資するのは、それ自体が幸福な行為となるのだ。

「金が欲しい」って発想をやめよう

本書は、人々にたいして180度の価値観の転換を促している。

多くの人は「もっと金が欲しい」と日々思っている。「もっと金があったら、確実に幸せになれる」と。

とんでもない。その金の使い方をしている限り、幸福感は低下するばかりですよ。

モノを買う、すぐに買う、時間への影響を軽視する、後払いですぐに消費する、自分のために金を使う。

こんなことをやっていたら、どんだけ金があっても幸せは得られない。

重要なのは、金の多寡ではなく使い方だった。

本当に「読んで良かった」と思った本でした。

「フォロワー」のための競争戦略| パクリ戦略が抜けている

 

リーダーやニッチャーでなくても勝ち残る 「フォロワー」のための競争戦略

リーダーやニッチャーでなくても勝ち残る 「フォロワー」のための競争戦略

 

「 リーダー、ニッチャー、フォロワー」というのは、競争戦略上の分類のこと。以下のサイトでわかりやすく解説されている。

競争地位戦略 マーケティング用語

本書は、これといった経営資源を持たない「フォロワー」企業向けの戦略を解説している。

紹介されている12のフォロワー戦略については、綺麗にまとめられていると思う。一言でいえば、「競争回避をしながら、身軽な経営して、多くを試そう」といったところか。

選択と集中」はハイリスク

本書は選択と集中」の危険性を訴えていて、それが印象的だった。

一般的には、「経営資源が少ないなら、1つに集中しないと展望は開けない」といったことが語られがち。

しかし、本書を読めば、それがとんでもない話だとわかる。そもそも経営資源のない企業が「選択と集中」をして失敗したらどうなるか。即ゲームオーバーになる。まさにギャンブルに失敗したようなものだ。

むしろ弱い企業ほど多角化を目指さないとならないはずだ。

これはサラリーマンでも同じではないだろうか。大企業の出世街道にのっている「リーダー」とか、特殊技能をもっている「ニッチャー」なら1つの仕事に集中すべきだが、これといった能力のない凡人「フォロワー」は常にリストラ対象だし転職先もない。

日頃から、副業に精を出して、複数の稼ぎ口を開拓しておく方がリスクヘッジになる。フォロワーは多角化こそ王道なのである

これは江戸時代の百姓だって同じ。農業ばかりやっていたら、不作のときに首をくくることになる。そこで、百姓たちはあらゆる副業にトライしていたと聞いたことがある。ワラジを編んで売ってみたり、山菜を町に売りに行ってみたり。

弱い立場の人間は、集中してはいけない。どうせ勝てないから。むしろ多角化を目指して、なんとか生き延びる方法を模索するのだ。

姑息なパクリ戦略を取り上げて欲しかった

本書で不満なのは、パクリの話がほとんど出てこないこと。

フォロワー戦略の1丁目1番地は、パクリでしょう。古今東西、三流企業はパクルことで生き延びてきた。フォロワー戦略の第一番目に「パクリ」を入れてほしかった。

 

パクる技術 (ゴマ文庫)

パクる技術 (ゴマ文庫)

 

 こんな本もあるけど、まさにこれこそフォロワー戦略なんです。

フォロワーは一流企業を真似する。儲かっている企業を真似する。ブランド企業を模倣して顧客の錯誤で売り逃げる。身軽な経営をして、高速回転でパクリ続ける。パクッてナンボ。

私は、「「フォロワー」のための競争戦略」と聞いて、パクる方法を詳しく教えてくれるものとばかり期待していた。本書は実に綺麗なことばかり書いてあって、ちょっと残念。

フォロワーが綺麗な経営しているわけないでしょ!

 

なぜ7割のエントリーシートは、読まずに捨てられるのか? |当たり前の現実がなぜわからないのか

 

 就活をしたのはずいぶん昔になるけど、当時からエントリーシートのばらまきが疑問視されていた。

新卒の就職活動って、まだこんなことやってんの?」というのが率直な気持ち。

本書の内容は、池田信夫氏のブログとか、城繁幸氏のブログを読んでいれば、わかっていることばかり。

万が一、新卒や第二新卒の学生で、「エントリーシートが読まれている」なんて考えている人がいるなら、すぐに本書を手に取った方がいい。

有名企業には何万通というエントリーシートが寄せられるから、それをいちいち読んでいるわけがない。こんなことは誰でもわかりそうなもんだが。

採用を決めるのは誰か

多くの学生には能力信仰があると思う。能力のある人間が企業に採用されるという信仰。

だけど、考えて欲しいのは、誰が採用を決めるのか?という話。

採用担当者ってのは、要するにサラリーマン

同じ釜の飯を食う仲間たちが採用を決めている。断じて、会社の株主ではない。

当然ながら、採用基準は「そいつと一緒に働きたいか?」ということになる。

能力なんてのは、仕事が最低限こなせるベースがありさえすれば、どうでもいいことなのだ。

だからこそ、学歴による足きりが機能してしまう。本当の能力主義だったら、学歴なんて意味ないから、学歴が採用基準になることはない。

就職の際に見られる「能力」というのは、最低限の仕事を遂行する能力のことだから、入試のお勉強がひとつのシグナルとして機能することになる。

最低限の能力さえば、あとは仲間とうまくやってけるか。これがすべて。

誰だって、新しく仲間になるやつが糞野郎だったら困るわけで、良い奴に入ってほしい。コミュニケーション能力が重視されるのは、あまりに必然的なことなのだ。

コミュニティを求める意識が罠となる

日本人にとって会社に就職するというのは、単に金を稼ぐ手段というより、アイデンティティのより所になっている。

だからこそ、若い人たちは少しでも世間受けのする企業に入りたくなるわけだし、その気持ちはわかる。

だけど、そんな古い意識で生きていたら、死ぬまで窮屈な人生を送ることになるから。終着駅はうつ病ですよ。どこかで根本的に発想を変えるしかない。

ワタミのような企業で若者が過労自殺して、ブラック企業だと騒がれている。不思議なのは、なぜ居酒屋チェーンに就職するのか?ということ。

将来、居酒屋の起業を目指しているならいいけど、こういった起業に就職して得られるスキルは居酒屋店員のスキルなわけでしょ?

だから、ワタミ東証一部だとか、一応は世間に名前が知られているとか、そういう馬鹿げた理由で会社を選ぶとしたら、その人はコミュニティを求めているだけ。

アイデンティティのより所を求めて、とりあえず有名企業に就職しようとする学生は、命の危険があることを自覚した方がいい。

もっといろんな大人と知り合うべき

もし、今の私が大学生時代の自分にアドバイスするなら、以下の言葉を贈りたい。

自分の力で世界に向き合っている大人たちと知り合いになれ!

そういう人を直に知っていれば、そういうカッコいい大人を身近に見ていれば・・・

世間受けのする大企業に片っ端からエントリーシートをばらまくような、アホな就職活動をする気持ちはなくなるでしょう。

世紀の相場師ジェシー・リバモア | この虚しさは何だろう

 

世紀の相場師ジェシー・リバモア (海外シリーズ)

世紀の相場師ジェシー・リバモア (海外シリーズ)

 

 20世紀の米国で、もっとも有名な相場師ジェシーバモア。

彼のことを調べつくした著者が、見事な伝記にした。

相場師はどんな人か

バモアの人生はジェットコースターのような起伏に富んでいるので、とにかく面白い。無一文から成り上がった成功物語に終わらず、何度も破産に追い込まれる。そのたびに相場で再起して前回以上の金持ちになっている。

晩年は再起できなかったが、破産した過去の教訓から膨大な信託を組んでいたので、金には困らなかった。

それにしても、相場で成り上がる人はリスキーな投資をやっている。感心するというか、呆れるというか。どこか神経が切れているとしか思えない。

もう一生金に困らないほど成功しているのに、いざ勝負時になったら、全力でポジションをもったりする。だから、どれだけ金持ちになってもあっさり破産する。値動きが逆に向かえばそうなる。勝ち始めると再起も早いんだけど(笑。

以前、ネットで見たんだけど、数十万円でFXをはじめて、3億円を作った人がいた。(ネタか本当か判断できないが、一応Youtubeで取引証拠をアップしていたり)。その後、短期間に3億すべての金をすって無一文に逆戻りしていた。

3億円もあるのにリスキーな投資に全財産賭けるのは、どういう神経をしているのか不可解だと思っていた。逆にいえば、そういう人だから3億作れたともいえる。相場師はみんなそうなんだろうな。とてもじゃないが真似できない。

不幸な人だった

バモアはとんでもない金持ちだから女性関係も派手なんだけど、何度結婚しても幸福を得られず不幸な私生活が続く。

相場師というのは根本的に不幸な人なのではないかと思ってしまう。どうしても満足を得られないタイプというべきか。

本の写真からもわかるように、ドンファンのような女好きの豪傑タイプではない。むしろ繊細に女性に救いを求めている。

妻が子供を銃で撃つ事件を起こしたり、とにかく家庭がめちゃくちゃ。最後の結婚も不幸なままで、自殺することになった。

若くして成功しちゃったので、心を熟成させる時期がもてなかったように思えた。

バケットショップは現在のFX取引

ところで、本書には20世紀初頭のバケットショップの話が出てくる。バケットショップというのは、株式の賭場。

株式取引のようだが、実際に株を売り買いするわけではなく、株価データを使って胴元と投機家とが金のやり取りをする。

当時、本当の株式取引をするなら大きな元手が必要だったが、こういったバケットショップなら庶民の小遣いで株式投資の真似事ができた。

ここまで読んでピンと来た人がいると思うけど、これって現在のFX取引と同じ。実際に通貨を買ったり売ったりするわけではなく、あくまで為替の値動きデータを使って、FX証券会社と投資家が金のやり取りをしているだけ。当然、投資家が勝てば、胴元のFX証券会社が損をする。

この基本をわかっていないでFXやっている主婦がけっこう多いと聞く。FX証券会社は、客に損をさせることで利益を出すわけだから、値動きデータなんて操作し放題。為替レートが客のロスカットのラインに近づいたら、わざと刈り取るくらいのことは平気でやる。実際の為替レートはあくまで参考に過ぎないわけで(笑。

20世紀初頭のバケットショップは、そういったコンピュータ操作ができない。だから大勝ちした客(=胴元を大損させた客)をどうしたかというと、暴力を背景にして支払いを拒んでくる。

バケットショップの投機で大儲けしたリバモアは何度も理不尽な支払い拒否に直面した。そこで、どうしたか。その賭場で大騒ぎした。周囲の客にたいして、「このバケットショップは支払いをしない」と騒ぎ立てた。そんな風評が広まったら商売できないからバケットショップはしぶしぶ支払うことになった。

要するに、こういった私設取引所は、ヤクザな世界なんです。客が負けることが前提で、大勝ちしたら身の危険がある。それを跳ね返すようなド根性があるからリバモアは金を蓄積できた。

ひるがえって、現代のFXは、さすがに支払い拒否はないだろうけど、コンピュータの操作でレートをどうとでも動かせる。客が負けることが前提になっていることに違いはない。生まれつきの相場師ならいいけど、普通の人が近寄る場所じゃない。

 

商人道のススメ | 武士道への憧れがひっくり返る

 

商人道ノスヽメ

商人道ノスヽメ

 

 サッカー日本代表は「サムライブルー」、野球の日本代表は「サムライJAPAN」。こういったネーミングからもわかるように、日本では武士道への憧れが根強い。

私自身も戦国時代物が大好きなのだが、本書を読んで衝撃を受けた。

本書は武士社会と商人社会を対比させながら、その価値観の違いを比較していく。

武士と商人は違う世界に生きている

武士は特定の縄張りを支配することで生計を立てるものであり、閉鎖空間に生きている。同じ縄張りに生きている仲間の目が倫理の基準となる。外の人に対しては、徹底して組織防衛に図るため、普遍的な倫理観がない。

商人はまったく未知の他者との売買によって生計を立てるので、開放空間に生きている。不特定多数と交渉するので、誰にでも通用する正しい行為(誰からも信頼される行為)が倫理の基準となる。

ここまで書いてわかるように、本書では武士社会を倫理的に劣っているとして、商人道をススメている。

本書のベースになっているのは、ジェイコブズの「市場の倫理 統治の倫理」という本。

 

市場の倫理 統治の倫理 (日経ビジネス人文庫)

市場の倫理 統治の倫理 (日経ビジネス人文庫)

 

 日本の「武士と商人」に限ったことではなく、実際はどんな文化においても両者の倫理がある。

これは自然発生的に(必要性があって)成立するものなので、どちらか一方が正しいという話ではない。両者の倫理が入り乱れたときに腐敗が起きるとされる。

人間は閉鎖空間で生きる

ところで、よく考えてみると、ほとんどの人は生まれてから死ぬまでずっと閉鎖空間で生きているのではないだろうか。

家族という閉鎖空間から始まり、学校という閉鎖空間、会社という閉鎖空間などなど。不特定多数との交渉によって生計をたてるなんて、むしろ少数派だ。

ビジネスをやるにしても、どこかの企業に就職するなら、組織で生きる倫理が求められる。商人道よりも武士道が幅をきかせてくることだろう。

人間は集団を作った方が何かと有利なので、むしろ武士社会のような狭い「身内集団倫理」が多数派なのだ。

商人道の「開放個人主義倫理」なんてものは、個人で世界と向き合って生計を立てることであり、きわめて特殊なもの。

ネットの出現によって就職しない生き方が増えてきたけど、多くの若者は「家族」という閉鎖空間をセーフティネットにしているわけで、商人道(という倫理観)に生きている人は少ない。

今から50年後になったら人々の働き方も変わって、驚くほど商人道が重きをなしているかも知れないけど。

サムライが人気の理由

映画・漫画・小説・テレビドラマでは、歴史物といえばサムライが主人公のものばかり。カッコいい商人が主人公の話って、ほとんど見たことがない。

これは当然であって、ほとんどの人が閉鎖空間に生きているわけだから、サムライに感情移入しやすいのだ。

組織の理不尽に必死に耐えて、家族のために働いているからこそ、「たそがれ清兵衛」に涙できる。

数年前に流行った「半沢直樹」も同様に、銀行というムラ社会の闘争を描いたからこそ人気が出た。「半沢直樹」はほとんど時代劇であり、今思えば本当に狭い閉鎖空間の闘争劇だった。

そして思うのは、歴史物といえば武士ばかり出てくるのは、現代のクリエイターの怠慢だと思う。歴史は多様な生き方の記録なのに、パターン化された人物しか物語に出てこない。

これからは闘争も復讐もいらない。開放空間に生きる主人公の物語が流通すべきだ。本書「商人道のススメ」を読んで、つくづくそう思った。

 

ウェブで一発当てる方法 | 1サイトの広告収入で大儲けは無理

 

ウェブで一発当てる方法―スマッシュコンテンツ成功の法則

ウェブで一発当てる方法―スマッシュコンテンツ成功の法則

 

 WEBデザイン会社のカヤックが今までにつくったコンテンツとか、他のヒットサイトのインタビューを通して、いかに稼げるWEBコンテンツを作るか探っている。

カヤックと言えば、遊び心に満ちたWEBサイトに特徴があって、受託開発のWEB制作会社として有名。

しかし、カヤックが運営するWEBコンテンツは、いまいちパッとしたものがないような気がするには、気のせいだろうか。(受託開発の評価は高いし、最近はアプリで稼いでいるらしいが)

本書も小粒なコンテンツばかり。他社インタビューにしても、「ルー語変換」みたいな個人運営の素朴なお遊びサイトが多い。

だからこそ、個人で一発当てたい人にとってはリアルかもしれない。2008年の刊行ということで、変化の早いWEB業界にとっては古い情報だけど、いろいろ参考になる部分はあった。

大きく稼ぐのは無理

結論をいえば、1つのサイトで大きく稼ぐのは無理ということがわかる

なぜなら、仮に月間30万PVのWEBコンテンツを作っても、マネタイズ方法が広告しかないわけで、月収10万円とかそんくらいが限界なんです。

本書に掲載しているヒットサイトにしても、1ヶ月の収入は10万程度のものばかりだった。

マネタイズの提案としては、カヤックがそうであるように、話題になるようなヒットサイトを作ることで、受託開発の仕事につなげるというもの。

要するに、サイトからの収入だけでは限界があるということ。

ここで誰でも思いつくのは、数多くのサイトを作れば、累積で稼げるのではないかということ。実際、カヤックはBM100とかいう大量のサイト制作のプロジェクトをやったみたいだけど、人気サイトというのは簡単に量産できないのだった。

そのあたりの現実が実によくわかる良書といえる。ただ、個人レベルでも、そこそこ話題になるサイトを作れるのがWEBだし、それをなんとか収益につなげる方法もあるかも知れないので、まったく夢がないわけでもない。そのあたりのゆるい感じが良い。

アプリもいずれは稼げなくなる

コンテンツで稼ぐといえば、最近はもっぱらスマホアプリが話題になっている。スマホ業界はWEB業界ほど成熟していないだけに、まとまった金を稼ぎやすいかも知れない。

しかし、いずれはWEB業界と同様に、大量のアプリの乱立によって、そうそう収益化できない時代がやってくるはず。

それこそWEBコンテンツと同じで、ヒットアプリを作れば多少の金にはなるけど、大きく稼ぐことはできないという時代がくる。

継続的に稼ぐには、やっぱり広告以外の収益方法をいかに確保するかにかかっているのではないか。