コペル書評

読んだ本の感想をメモ。ときどき映画も。

或阿呆の一生(まんがで読破)|死に至る芥川の軌跡

 

或阿呆の一生 (まんがで読破)

或阿呆の一生 (まんがで読破)

 

 「或阿呆の一生」は芥川龍之介の短編。その原稿は芥川の自殺後に見つかったという。彼の自伝だとされる。

本書は「まんがで読破」シリーズの一冊で、或阿呆の一生」を漫画化したもの

このシリーズは今まで40冊くらい読んできたけど、一生読まなかったはずの文学作品に出会えるので感謝している。漫画は素晴らしいとつくづく思う。

ところで、芥川の死といえば「ぼんやりとした不安」という言葉が有名だけど、この作品を読むと死に至る軌跡が克明につづられている。

芥川が苦しんだこと

芥川は養子だったので、周囲の大人にわがままが言えなかった。そのため、他者との関係で常に追従的になり、自我形成にかなり困難を抱えていたらしい。

不快な関係を捨てることができない、開き直ることができない。そんな窒息感をずっと抱えこんだ。心身の不調は、そのへんにも原因がありそう。

しかし、芥川の自殺の大きな要因は、自らの作品を信じられなくなったことだと思われる。

精神的に困難を抱えていた芥川は、創作活動が救いだった。なのに、自分の作品を信じられなくなった。

なぜなら、あまりに激しい酷評に直面したから。童話ちっくな話が多いだけに、当時は芥川を軽んじる評論家が多かった。人気作家だったので妬みもあっただろう。

評論家たちは芥川の文学的価値を全否定し、その批判に晒され続けた芥川は、徐々に自分が信じられなくなって書けなくなった。

芥川にとって「運」がなかったのは、文学界の保護者であった夏目漱石が40代で他界したこと。芥川を守っていた大御所がいなくなったことで、文壇で孤立無援になった。

創作する人たちの苦しみ

芥川の作品を激しくバッシングしていた有象無象の人間たちは、歴史の闇に埋もれて、残ったのは芥川の作品。当時の評論家のことなんて誰も覚えていない。しかし、芥川はその酷評に苦しみぬいて自殺した。

なんか、ニーチェの「弱い者たちの攻撃から、強い者を守らなければならない」という言葉を思い出すわ。しょーもない非才な人間たちに、才ある人が殺されたことになる。

そもそも、作品の出来不出来なんてどうでもいい。その作者は苦しい人生の「救い」として創作しているかもしれないわけで、他人がいちいち否定することはない。

芥川は当時から人気作家だったけど、そういった有名人にたいしてはどんな攻撃も許されるという風潮もおかしい。相手がどんなに有名人であろうが、その人を否定する資格は誰にもない。

或阿呆の一生」を読んでから、創作家にたいして批判するのは一生やめようと思った。その人がどんな思いで書いているかなんてわからないんだから。

 

タオを生きる | あるがままに生きるとは思考を信じないこと

 

タオを生きる---あるがままを受け入れる81の言葉

タオを生きる---あるがままを受け入れる81の言葉

 

 著者のケイティは欧米で注目されている思想家。

「思想家」という大げさなものではなく、心理実践家とでもいうべきか。彼女のやっていることは、Workという4つの質問を通して、自らを苦しめる思考を解体する作業。

東洋的な思想+西洋的な対話活動

ケイティの狙いは、自らの思考と距離をとること。それに尽きる。

本書のみならず、ケイティの著作を読むといつも思うのは、苦しみの源は自分の「考え」なんだなということ。

現実とは異なることを「あるべき姿」なんて思い込んでいれば、その思考が常に自分を苦しめることになる。

もちろん、これは仏教や道教のベースの部分であり、ケイティのやっていることは東洋人からすれば馴染み深いもの。

しかし、ケイティのWorkは実にアクティブな「対話」を実践するので、むしろ新しく感じる。

 

ザ・ワーク 人生を変える4つの質問

ザ・ワーク 人生を変える4つの質問

 

 

興味のある人は上記のWorkも読んでみてください。

「タオを生きる」の中にも、対話の実践記録がいくつか掲載されています。

古典の読み方

本書「タオを生きる」の内容だけど、中国の「老子」がテーマになっている。

ただし、老子を解説しているわけではなく、老子の言葉にインスピレーションを受けて、ケイティが自由に語ったもの。

ちなみに、ケイティはそれほど古典に興味があるわけではないようです。そこが重要で、ケイティのWorkはあくまで自らの人生から編み出したもの。

だからこそ、Workであれほどアクティブな対話ができる。知識を学んで「悟ったつもり」の人には、あの対話はできない。

ケイティは実に自由奔放に語っています。「老子の教え」も、セミナーの参加者との対話も変わらない感じで、老子を言葉をちょっと目にして、すぐに自分の思いを素直にそのまま語る。これが古典の読み方なのかも知れない。

数千年前に答えは出ている

ところで、誤解を怖れず言えば、もう二千年以上前から、「いかに生きるか」の答えは出ているのかもわからんね。

ようするに「あるがまま」「ありのまま」に生きるということ。それができないから苦しむ。

問題はどうすれば、その境地に至るかということであって、そこは各自が見つけるしかない。

ケイティは、際限なく湧き上がる思考がすべて現実を曇らせるものだと気づいた。そのために、激しく質問をしていく。それはケイティの見つけた方法ですが、多くの人にとっても何らかの参考になりそうです。

 

リーン・スタートアップ | 本書を読まずに起業してはいけない

 

リーン・スタートアップ

リーン・スタートアップ

 

起業の世界ではとても有名な本。

もうIT系のスタートアップでは常識になっている内容です。

5行で内容をまとめる

  • 顧客に価値を提供できないプロダクトは、すべて無駄。
  • 価値を提供できたかどうかを検証できないプロダクト、および学習できないプロダクトはすべて無駄。
  • 軸足を固定しながら方向を変えて(ピポットしながら)、リリースしたプロダクトを検証し続ける。戦略が固まるまで大勝負はしない。
  • 作業は価値提供の向上とアイディアの検証に絞る。
  • これらの改善検証をMVP(最小限の価値提供にしぼった商品)を使って超高速で行う。

検証の鬼になれ

何らかのプロダクトやサービスをリリースしたときに、最初の思惑通りに行くことが少ない。

誰が顧客なのか、顧客はどこに価値を感じるのか、顧客はどのように使用するか。

こういった基本的ならことすら、最初の想定は外れ続ける。だからこそ、スタートアップは成功率が低い。

そこで、最小限のプロダクトをリリースしながら、顧客の反応を検証して、高速で改善しつづける。

ピポットという概念が重要

本書の中で一番重要だと思ったのは、ピポットという概念。

ピポットというのは、バスケのときによくやる動作で、軸足を固定しながら、もう片方の足で方向を変えること。

起業して何らかのプロダクトをリリースする。しかし、上手くいかない。そこで、ちょっとだけ変えながら、顧客の反応を検証する

これが難しい。

要するに、起業家というのは二通りある。第一のタイプは「絶対に俺の考えは正しいはずだ」と信じ切って、どこまでも同じ戦略で推し進める。そして時間と資金が尽きてゲームオーバー。

第二のタイプは、プロダクトをリリースしたけど売れなくて、すぐに諦める。そして、まったく違うサービスを模索する。また売れない。違うことをやる。また売れない。違うことをやる。売れない。そのうちゲームオーバー。

この二つのタイプでは駄目ですよ、という話です。

最初の想定どおりに上手くいくわけがないので、初期のアイディアに固執しては駄目。だからといって、すぐに諦めて別のことをするのも駄目。

売れるか売れないかは紙一重なんだから、少しずつ戦略の方向を変えながら、検証を続けることが大切なんですな。

MVPというスピード感

プロダクトなりサービスを最初から作りこむ必要はない。なぜなら、どうせ売れないから。

その商品のもっともコアの部分(MVP=最小限の価値提供にしぼった商品)だけを作る。これなら開発のコストを抑えることができる。

そのMVPを顧客に提供して、反応を検証しながら、改善を続けていくということです。

プロトタイプとか、ベータ版というのと同じようなことだけど、ちょっと違う。プロトタイプというのは、完成品の「雛形」ということなので、顧客に全体像をイメージしてもらうためのもの。

MVPは戦略の正しさを検証するためのものであり、もっとも重要なアイディアの部分だけを作る。その部分に顧客が価値を感じるかどうかを検証する。

最小限のコスト、最短の時間で、そっこうでMVPを作って、学習しなさい。そういうことです。

実は楽天もこのやり方をとっていた。

成功のコンセプト (幻冬舎文庫)

成功のコンセプト (幻冬舎文庫)

 

 この本の中で、プロジェクト会議の風景が描写されている。

担当社員が3ヶ月のプロジェクト計画を提出する。すると三木谷社長は「この部分はいらない。この部分は後回し。そうすれば1週間でできる」みたいな感じで、コアの部分だけを即効でリリースさせる記述がある。

まさにリーンなプロジェクトスタートであって、成功するIT起業家はみんなこのスタンスなのでしょう。

(ちなみに、「成功のコンセプト」は、「リーンスタートップ」よりずっと以前に刊行された本です)

ネット業界の定跡

リーンスタートアップの考え方は、とりわけネット業界で重要なものとなる。本書「リーン・スタートアップ」の著者は、メッセンジャーアプリ起業を通して、リーンスタートアップに行き着いている。

ネット業界というのは、パソコン1台あれば起業できる世界なので、イニシャルコストが低い。失敗しても失うものがない。しかし、とにかく、変化が早くて、時間だけが重要なコストになる。

だから、失敗を前提としたスピード重視の手法が欠かせません。

だけど、もしかしたら、多くの業種でも有効なのかも知れない。最初のアイディアに固執せず、顧客との対話を通して、売れるビジネスを模索する。起業とは全部、そういうものなのでしょう。

そういえば、ドラッカーも「重要なのは売上ではなく、学習だった」という名言を残しています。

リーンスタートアップ」は、起業する人、プロジェクトを開発する人にとって必読書です。

長生きしたければ、運動はやめなさい!

 

長生きしたければ、運動はやめなさい!

長生きしたければ、運動はやめなさい!

 

 健康を保つためには運動が必要というのが常識。本書は、あえて逆のことをタイトルで主張しているので目を引いた。

でも、「やっぱりな~」という内容。

要するに、無理な運動をすれば逆効果ですよ、という当たり前の話。タイトルはまさに釣りですな。

ただし、本書を否定する気はありません。「運動をしなきゃ」という強迫観念を持ってしまって、むしろ不健康になるような生活をしている人もいるでしょう。

特に体が弱っているときに強迫的に運動をするのは寿命を縮めるだけ。そういう人には本書は良い薬になると思う。

大切なのは、体と会話することです。「運動が良い悪い」の前に、自分の体がどういう状態なのか、それを知ること。長生きするために、今何をすべきかは、自ずと明らかになるというものです。

 

地球は「行動の星」だから、動かないと何も始まらないんだよ。

 

 著者の斉藤一人さんを知らない人も多いだろうから、簡単に紹介したい。

健康食品の販売で成功して、高額納税者公示制度(長者番付)があった頃、12年間連続10位以内に入ったという億万長者。

いわゆる商売で大成功した人で、現在は大量の自己啓発書を書いています。

何冊か読んでみたけど、ちょっと元気をもらいたいときに軽く読むのに良さそう。

人気の秘密はたぶん、嫌味がないことだと思う。

自己啓発書って、けっこう嫌味な著者が多くて、辟易とすることが多い。あるいは、コンプレックスが強くて極論に走る著者とか。

斉藤一人さんはそういう部分がまったくなくて、金持ち喧嘩せずを地で行くような、非常に穏やかな文体がいいですね。

書かれている内容は、まあ、タイトルを見ればわかるとおりのことなんだけど、やさしい口語で語りかけるように書かれているので、気楽な気持ちで良い言葉に出会える。

私は基本的に電子書籍kindle版を買って、移動中にスマホで目を通すことが多いです。

斉藤一人さんは商売人だけあって、自営業をやっている人にとって心に響くようなイメージがある。やっぱり、勤め人と商売人は世界が違うから、どうしても響く度合いが異なってくる。

ほとんどの自己啓発は、勤め人を経験した著者が、勤め人のキャリアアップを想定して語っている。私は自営業者だから、「ちょっと違うな」とズレを感じることが多かった。

その点、斉藤一人さんは商売人出身だから、非常に親近感をもつことができます。

 

21世紀の資本 | 読まなくていいかも

 

21世紀の資本

21世紀の資本

 

 話題の本なので書店で立ち読み。

結論:経済学の院生でもなければ、読む必要なし。

非常に細かい本で、一般人にとっては「つまらない」としか言いようがない

実証的に「資本収益率が経済成長より大きい」(格差は広がっている)というだけの本。

翻訳者の山形浩生氏のブログで、この本についていろいろ書いている。

中でもピケティ「21世紀の資本」FAQ(PDF)が理解に役立つ。米英の経済学者たちがこの本を否定しているという話を良く聞くけど、そのあたりのことも書かれていてタメになった。

あとは池田信夫氏の解説本。

どう考えても、これで充分です。

こちらも立ち読みしたけど、「もう充分」だと思った。

池田氏のアゴラチャンネルでもピケティについて解説しています。(前半部分)

心理的な不幸は格差から生まれる

本書がこれほど売れているのは、格差が広がっている実感を多くの人が持っているからでしょう。

すぐに思い出したのが「幸福の計算式」で紹介した「イースタリンの逆説」。

格差が広がっているとは言っても、現代はすべての人の暮らしぶりが良くなっている。人類史的に見て、これほど庶民が豊かな時代はない。

格差社会の底辺に生きている人でも、医療を受けられて、けっこうなものを食べていて、(もしかしたら)スマホを持っている。

ただし、それが幸せに結びつかないというのが「イースタリンの逆説」。

幸福というのは他者との比較で決まる

だから、周りの人間が自分より豊かなら、どれほど贅沢な暮らしをしていても「不幸のどん底」に感じてしまう。

現代の日本に生きている年収200万円の人に向かって、「アフリカの貧民に比べれば天国のような暮らしだ」とか「江戸時代の貧農に比べれば貴族のような暮らしだ」とか慰めても意味はない。

なぜなら、彼らの周囲にいる現代日本人はもっと豊かだから。

不幸の根本は、常に「格差」であって、絶対的な豊かさの基準ではない。食うに困らず、贅沢な福祉を受けられていても、回りにいる人間がもっと贅沢な暮らしをしていれば「なんで俺だけが!」と怒りがわきあがる。

それが人間の心なんです。

言い換えると、どれだけ経済成長して国全体が豊かになっても、それ以上のスピードで金持ちがもっと金持ちになったら、庶民は確実に不幸になっていく。

つまり、経済成長率よりも資本収益率が上回って( r > g )、国の格差が広がっていけば、ほとんどの庶民は不幸になっていく。

それが人間心理なんですよ。その共同体は持続可能性に疑問が生じてきます

ピケティの(つまらない)本が売れているのは、それだけ根の深い理由があると感じています。この現象は軽く見ない方がいい。

 

「こうやって売ればいいんだよ! 」

 

「こうやって売ればいいんだよ! 」 (DO BOOKS)

「こうやって売ればいいんだよ! 」 (DO BOOKS)

 

 店舗販売のテクニック本。「圧倒的な販売技術」という宣伝ほどの内容ではないけど、「なるほど」と思うことはあった。

販売員でもないのにこの手の本に興味があるのは、ヤフオク出品をやってから(笑

ヤフオクで物を売っていると、商売について学ぶことが多い。家の中の不用品を売るのではなく、仕入れて売ったりもしているんで(趣味で)、なおさら商売の奥深さを勉強させてもらってます。

というわけで、とにかく「売る」ということに非常に興味があって、この手の本を軽く読むことがある。

本書の中で印象に残ったのは、販売シミュレーションをビデオに取るという部分。

実際のお客様相手に販売しているときは、さすがにビデオの隠し撮りはできない。だから販売練習としてシミュレーションをやってビデオを撮る。

自分がどんな接客をしているか?というのを客観的に観ることで、山ほど多くの気づきが得られる。

何事もそうだと思うけど、自分を客観的に見ることほど多くを学べることはない

裏返していえば、それほど自分を客観視するのは難しくて、だからこそ、どうすべきかがまったく見えなくなる。

あれこれテクニックを教わったところで、普段自分がどんな販売をやっているかを理解していなければ、あまり得るものがないのかも知れない。

これはどんなことにも言える。

たとえば、管理職教育もそう。上司になった人にたいして、どんな風に部下に接しているかを数日間ビデオに撮って見せればいい。

そうすれば、「自分は管理職として何が問題なのか?」が明白に理解できる。

あるいは、私のような自営業もそう。普段どんな仕事をしているかをずっとビデオに撮って観ればいい。つまらんことに時間をつかっているな~とゾッとするかも。

あるいは、急にジャンルは変わるけど、女性の口説き方もそう。自分がどんな風に女性に接しているかをビデオに撮ってみてみれば、なぜ自分がもてないのか嫌というほどわかることだろう。

あれこれ考える前に、とにかく現実を客観的にみること。そのための工夫をすること。そうすれば、自ずとやるべきことが見えてくる。

そういえば、「いつまでもデブと思うなよ?」のレコーディングダイエットも本質は同じですね。

 

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

 

 自分が何を食っているのかを記録する。

その現実を目の当たりにすれば、やたら食べていた人だって、自然と量をセーブするようになる。

不適切な行動というのは、客観的に把握できなくなったときに起きるのかも知れない。

ビジネスだって同じで、適切に行動できる人は当たり前に成功しているんですね。