21世紀の資本 | 読まなくていいかも
話題の本なので書店で立ち読み。
結論:経済学の院生でもなければ、読む必要なし。
非常に細かい本で、一般人にとっては「つまらない」としか言いようがない。
実証的に「資本収益率が経済成長より大きい」(格差は広がっている)というだけの本。
翻訳者の山形浩生氏のブログで、この本についていろいろ書いている。
中でもピケティ「21世紀の資本」FAQ(PDF)が理解に役立つ。米英の経済学者たちがこの本を否定しているという話を良く聞くけど、そのあたりのことも書かれていてタメになった。
あとは池田信夫氏の解説本。
日本人のためのピケティ入門: 60分でわかる『21世紀の資本』のポイント
- 作者: 池田信夫
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2014/12/12
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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どう考えても、これで充分です。
こちらも立ち読みしたけど、「もう充分」だと思った。
池田氏のアゴラチャンネルでもピケティについて解説しています。(前半部分)
心理的な不幸は格差から生まれる
本書がこれほど売れているのは、格差が広がっている実感を多くの人が持っているからでしょう。
すぐに思い出したのが「幸福の計算式」で紹介した「イースタリンの逆説」。
格差が広がっているとは言っても、現代はすべての人の暮らしぶりが良くなっている。人類史的に見て、これほど庶民が豊かな時代はない。
格差社会の底辺に生きている人でも、医療を受けられて、けっこうなものを食べていて、(もしかしたら)スマホを持っている。
ただし、それが幸せに結びつかないというのが「イースタリンの逆説」。
幸福というのは他者との比較で決まる。
だから、周りの人間が自分より豊かなら、どれほど贅沢な暮らしをしていても「不幸のどん底」に感じてしまう。
現代の日本に生きている年収200万円の人に向かって、「アフリカの貧民に比べれば天国のような暮らしだ」とか「江戸時代の貧農に比べれば貴族のような暮らしだ」とか慰めても意味はない。
なぜなら、彼らの周囲にいる現代日本人はもっと豊かだから。
不幸の根本は、常に「格差」であって、絶対的な豊かさの基準ではない。食うに困らず、贅沢な福祉を受けられていても、回りにいる人間がもっと贅沢な暮らしをしていれば「なんで俺だけが!」と怒りがわきあがる。
それが人間の心なんです。
言い換えると、どれだけ経済成長して国全体が豊かになっても、それ以上のスピードで金持ちがもっと金持ちになったら、庶民は確実に不幸になっていく。
つまり、経済成長率よりも資本収益率が上回って( r > g )、国の格差が広がっていけば、ほとんどの庶民は不幸になっていく。
それが人間心理なんですよ。その共同体は持続可能性に疑問が生じてきます。
ピケティの(つまらない)本が売れているのは、それだけ根の深い理由があると感じています。この現象は軽く見ない方がいい。
「こうやって売ればいいんだよ! 」
店舗販売のテクニック本。「圧倒的な販売技術」という宣伝ほどの内容ではないけど、「なるほど」と思うことはあった。
販売員でもないのにこの手の本に興味があるのは、ヤフオク出品をやってから(笑
ヤフオクで物を売っていると、商売について学ぶことが多い。家の中の不用品を売るのではなく、仕入れて売ったりもしているんで(趣味で)、なおさら商売の奥深さを勉強させてもらってます。
というわけで、とにかく「売る」ということに非常に興味があって、この手の本を軽く読むことがある。
本書の中で印象に残ったのは、販売シミュレーションをビデオに取るという部分。
実際のお客様相手に販売しているときは、さすがにビデオの隠し撮りはできない。だから販売練習としてシミュレーションをやってビデオを撮る。
自分がどんな接客をしているか?というのを客観的に観ることで、山ほど多くの気づきが得られる。
何事もそうだと思うけど、自分を客観的に見ることほど多くを学べることはない。
裏返していえば、それほど自分を客観視するのは難しくて、だからこそ、どうすべきかがまったく見えなくなる。
あれこれテクニックを教わったところで、普段自分がどんな販売をやっているかを理解していなければ、あまり得るものがないのかも知れない。
これはどんなことにも言える。
たとえば、管理職教育もそう。上司になった人にたいして、どんな風に部下に接しているかを数日間ビデオに撮って見せればいい。
そうすれば、「自分は管理職として何が問題なのか?」が明白に理解できる。
あるいは、私のような自営業もそう。普段どんな仕事をしているかをずっとビデオに撮って観ればいい。つまらんことに時間をつかっているな~とゾッとするかも。
あるいは、急にジャンルは変わるけど、女性の口説き方もそう。自分がどんな風に女性に接しているかをビデオに撮ってみてみれば、なぜ自分がもてないのか嫌というほどわかることだろう。
あれこれ考える前に、とにかく現実を客観的にみること。そのための工夫をすること。そうすれば、自ずとやるべきことが見えてくる。
そういえば、「いつまでもデブと思うなよ?」のレコーディングダイエットも本質は同じですね。
自分が何を食っているのかを記録する。
その現実を目の当たりにすれば、やたら食べていた人だって、自然と量をセーブするようになる。
不適切な行動というのは、客観的に把握できなくなったときに起きるのかも知れない。
ビジネスだって同じで、適切に行動できる人は当たり前に成功しているんですね。
孫正義の参謀: ソフトバンク社長室長3000日
著者は嶋聡(しま さとし)さんという方で、衆議院議員からソフトバンクの社長室室長になった人。
ソフトバンクの参謀として、ボーダフォン買収、光の道論争、再生エネルギー事業、米スプリント買収に立ち会ってきたそうです。
経営にもっとも近い「中の人」の視点から、ソフトバンクの激動の時代を記しています。
それにしても、つくづく思うのは、ソフトバンクは稀な企業です。巨額買収のスケールにしても、経営のスピードにしても、「普通ではない」ですよ。
2兆円使ってボーダフォンを買収したときには、一般庶民の私でも「おいおい。大丈夫か?」と心配してしまったほどです。
急成長した企業として、どちらもオーナー企業のユニクロに対比されることが多いですが、ユニクロはどこまでも本業による拡大です。ダイエーの急成長を思い起こされるもので、(ダイエーは破綻したので縁起でもないですけど)、いわゆる本業による店舗拡大による成長です。ある意味で、正統派の経営。
ソフトバンクは、「大丈夫か?」というほどの野心的な買収で成長してきたわけです。このスケールとスピードは、孫社長のパーソナリティと切り離せないでしょうし、こんな巨大企業が一人で動かせるわけないので、社風とか経営幹部の手腕も興味深いです。
とにかく、本書を読めば、スケールの違いに圧倒されます。
本を読む前は、光の道構想なんて無線LAN時代に逆行するとか(事実でしょうけど)、再生エネルギーは原発事故の空気に動かされて迷走したとか、いろいろケチをつけたくなってしまうわけです。
しかし、そんなレベルの話ではない。圧倒的なスケールを持つ人々が何を考えて仕事をしてきたか。本を読むだけでも、小さく考えて仕事をしている人の殻を破ってくれるような内容です。
織田信長のマネー革命 武田知弘
人それぞれ「織田信長」のイメージはもっていると思う。
私の場合は「短期間で勢力を広げた軍事的天才。だけど、かなり冷酷な面もあった。」というもの。
この本を読んで「もしかしたら、過小評価していたかな」と思った。
本書は織田信長の経済政策に注目した本。
・日本史上初の(実質的な)通貨システム
・関所の撤廃
・領地ではなく港を重視
・秤の大きさを統一
・道路網
などなど。
その先進性には驚くばかり。
ただ、そういった政策の肝は、「やり抜く」ということだった。
たとえば、関所の撤廃について。
関所というのは、その地域の地侍・豪族たちが旅人から金をせびる為に勝手にやっていること。
流通を疎外するだけなので、戦国大名たちは関所の撤廃が必要であることはわかっていた。
ただし、地侍・豪族たちの重要な収入源を奪うことになるので、どれほど多くの敵を作るかわからない。普通の戦国大名はその反発を怖れて関所を撤廃できない。
ところが、信長はいかなる反発を蹴散らしてやりきってしまう。
仏教勢力との抗争も同じ。
行政と宗教勢力の対立というのは、現代でもイスラム圏で深刻だけど、当時の日本もそうだった。
当時の仏教界は、(現代の葬式仏教の坊さんたちとは次元が異なり)、日本の富、軍事力が集中していた一大勢力だった。
行政側との対立は避けられないが、他の戦国大名は強大な仏教界を怖れて手が出せない。しかし、信長はとことん戦い抜いてしまう。
とにかく、敵を怖れず、やるべきことは絶対にやり抜く。
政策の先見性よりも、そこに感動を覚える。
満足度:A
戦国時代というと軍事面ばかり注目されるけど、むしろ面白いのは経済面かも知れない。戦国好きなら絶対におすすめ。
自分探しと楽しさについて 森博嗣
小説家の森博嗣によるエッセイ。
「自由をつくる自在に生きる」と同様に、素朴に思うところを書いている。
どうすれば自分が見つかるのか、楽しい人生を送れるか、というテーマだが、もちろん万人向けの答えはない。ただし、考えを深めるヒントが散りばめられている。
著者の書くエッセイは素朴に思考していくスタイルで、そこが気に入っている。奇をてらったり、難解な言葉で煙に巻く部分がまったくない。
いくつか印象に残った部分を記しておきたい。
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他者に見られたい「自分」と本来の「自分」とのギャップは、個人的な悩みの代表格。解決するには、虚像的な自分を修正するか、実像の自分を修正するか、あるいはその両方によってギャップを縮めるしかない。
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自分について考えても自分のことはわからない。もっと周囲に変化を向ける。
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現代はお膳立てされた楽しみが多すぎる。お手軽な娯楽や仕組まれた趣味をやっても、自分自身は変化しない。だから楽しくない。
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なにか楽しいことはないかなと探している人は、それほどつまらなそうではない。楽しいことを探さない人がつまらなそう。与えられるのを待っているのが習慣になっている。
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楽しさを探す行為は、自分を探す行為と同じ。
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向こうから近づいてくるものは楽しくない。こちらから能動的に近づいて行くものの中に楽しさがある。
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「できない」という人は、目標が具体的すぎる。もっと抽象度をあげて、どこに楽しさを感じるかを考えてみれば、実現する道が見つかる。
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意見の違う他者を排斥すれば、同時に、他者から排斥される疑念をもってしまう。よって、他者を排除すればするほど自己は不確かなものになる。
意見の違う他者を尊重すれば、同時に、自分についても「そうか。僕はどうしてもそう考えてしまうんだな。しょうがない。」と受容できるようになる。自己は確かなものになる。
つまり、他者に対する態度と自己に対する態度は、まったく同じ。
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勝ち負けの楽しさに明け暮れていると、やがて「人の不幸が楽しい」という感覚になる。
楽しさとは他者との比較にはない。強いて言えば、過去の自分との比較にある。
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仕事選びは抽象度をあげる。
具体的な職種にこだわるから、好きな仕事につけないという話になる。
自分の楽しさを掘り下げていけば、どんな仕事でも楽しさは見つけられる。
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人に話せるものの中に楽しさの本質はない。伝えられるのは固有名詞や状況だけ。楽しさではない。人に伝達するというのは少し忘れたほうが良い。
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楽しさを味わうためには計画的でなくてはならな。
なぜなら、その計画が面白いから。
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金が楽しさを生むのではなく、楽しさが金を生む。
ここを間違えなければ大丈夫。
満足度:A
たまに読み直したくなる。
戦前の生活: 大日本帝国の”リアルな生活誌” 武田知弘
よく言われることですが、日本では70年ほど前の太平洋戦争によって断絶が起きています。
敗戦後のGHQ占領によって、社会が激変したからでしょう。また、戦時下のあり方が無意味にタブー視されているのも理由でしょうか。
とにかく、戦前と戦後で歴史が途切れている感覚がある。直線状のつながりを感じることが難しいのです。
そのため、戦前はどんな生活をしていたのかに興味があって、本書を手に取りました。本書では62のトピックで簡潔に紹介しています。
ところが!
読んでみると、ほとんど意外感がありません。
なんか知っていることばかり、想像の範囲内ばかり。
よく考えてみると、ドラマにしても映画にしても戦前ものって多いです。朝の連ドラでも昭和初期が舞台の作品が少なくありません。
実際、イメージはずいぶんつかんでいたみたいです。
逆に言うと、本書は真面目に書きすぎたのでしょう。
センセーショナルな項目ばかり集めれば、もう少し意外感のある内容にできたのでしょうが、ある程度まで正確にイメージを伝えようと編集したために、まったく意外感がない。
項目をいくつか紹介しようにも、これといって・・・
とりあえず、興味深かった内容は以下。
- 昭和4年。姫路高校で、生徒総代(生徒会長)が地元の連隊に「満州を侵略すべきではない」と質問。連隊は高校に抗議。生徒総代は謝罪しなかったので退学処分。それに抗議するため全校ストに突入。当時の高校生は骨のある人間が多くて、ストも多かった。
- 戦前には「人さらい」がいた。幼少の子供を物売りにしたり、大道芸に使ったり。
- 駄菓子屋は危険な場所だった。なぜかといえば、食べ物が不潔だったので、買い食いした子供が死ぬことがあった。そのため親は、駄菓子屋での買い食いを禁じた。
- 小学生による殺人事件が多発していた。理由は、子供同士の喧嘩。ナイフなどの武器をすぐに持ち出していた。
- 戦前にもアニメ制作があった。戦時下になってディズニーのアニメは入ってこなくなったが、国内では盛んに作られていた。「桃太郎・海の神兵」は手塚治虫が感激したという。
こんな感じな内容でした。
満足度:C
乗り物とか娯楽とか、表層的な内容が多かった。もう一歩踏み込んだ内容が読みたかった。
名前のない女たち最終章~セックスと自殺のあいだで 中村 淳彦
AV女優の実像に迫るノンフィクション。インタビューを通して、カラダを売る女性たちの人生を垣間見る。
まじめなノンフィクションなので、性的に煽る要素はなく、抑えた筆致で女性たちに迫っています。
評価の高いシリーズですが、本書は最終章だけあって、壮絶な内容が多い。
ここで具体的に書くのが憚(はばか)られるほど、重い内容が多いです。
あまりに辛い過去を背負った女性たちに向き合って、著者も酷く傷ついていくのがわかります。(著者はライターをやめて介護職に転職したそうです)