コペル書評

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商人道のススメ | 武士道への憧れがひっくり返る

 

商人道ノスヽメ

商人道ノスヽメ

 

 サッカー日本代表は「サムライブルー」、野球の日本代表は「サムライJAPAN」。こういったネーミングからもわかるように、日本では武士道への憧れが根強い。

私自身も戦国時代物が大好きなのだが、本書を読んで衝撃を受けた。

本書は武士社会と商人社会を対比させながら、その価値観の違いを比較していく。

武士と商人は違う世界に生きている

武士は特定の縄張りを支配することで生計を立てるものであり、閉鎖空間に生きている。同じ縄張りに生きている仲間の目が倫理の基準となる。外の人に対しては、徹底して組織防衛に図るため、普遍的な倫理観がない。

商人はまったく未知の他者との売買によって生計を立てるので、開放空間に生きている。不特定多数と交渉するので、誰にでも通用する正しい行為(誰からも信頼される行為)が倫理の基準となる。

ここまで書いてわかるように、本書では武士社会を倫理的に劣っているとして、商人道をススメている。

本書のベースになっているのは、ジェイコブズの「市場の倫理 統治の倫理」という本。

 

市場の倫理 統治の倫理 (日経ビジネス人文庫)

市場の倫理 統治の倫理 (日経ビジネス人文庫)

 

 日本の「武士と商人」に限ったことではなく、実際はどんな文化においても両者の倫理がある。

これは自然発生的に(必要性があって)成立するものなので、どちらか一方が正しいという話ではない。両者の倫理が入り乱れたときに腐敗が起きるとされる。

人間は閉鎖空間で生きる

ところで、よく考えてみると、ほとんどの人は生まれてから死ぬまでずっと閉鎖空間で生きているのではないだろうか。

家族という閉鎖空間から始まり、学校という閉鎖空間、会社という閉鎖空間などなど。不特定多数との交渉によって生計をたてるなんて、むしろ少数派だ。

ビジネスをやるにしても、どこかの企業に就職するなら、組織で生きる倫理が求められる。商人道よりも武士道が幅をきかせてくることだろう。

人間は集団を作った方が何かと有利なので、むしろ武士社会のような狭い「身内集団倫理」が多数派なのだ。

商人道の「開放個人主義倫理」なんてものは、個人で世界と向き合って生計を立てることであり、きわめて特殊なもの。

ネットの出現によって就職しない生き方が増えてきたけど、多くの若者は「家族」という閉鎖空間をセーフティネットにしているわけで、商人道(という倫理観)に生きている人は少ない。

今から50年後になったら人々の働き方も変わって、驚くほど商人道が重きをなしているかも知れないけど。

サムライが人気の理由

映画・漫画・小説・テレビドラマでは、歴史物といえばサムライが主人公のものばかり。カッコいい商人が主人公の話って、ほとんど見たことがない。

これは当然であって、ほとんどの人が閉鎖空間に生きているわけだから、サムライに感情移入しやすいのだ。

組織の理不尽に必死に耐えて、家族のために働いているからこそ、「たそがれ清兵衛」に涙できる。

数年前に流行った「半沢直樹」も同様に、銀行というムラ社会の闘争を描いたからこそ人気が出た。「半沢直樹」はほとんど時代劇であり、今思えば本当に狭い閉鎖空間の闘争劇だった。

そして思うのは、歴史物といえば武士ばかり出てくるのは、現代のクリエイターの怠慢だと思う。歴史は多様な生き方の記録なのに、パターン化された人物しか物語に出てこない。

これからは闘争も復讐もいらない。開放空間に生きる主人公の物語が流通すべきだ。本書「商人道のススメ」を読んで、つくづくそう思った。