自分探しと楽しさについて 森博嗣
小説家の森博嗣によるエッセイ。
「自由をつくる自在に生きる」と同様に、素朴に思うところを書いている。
どうすれば自分が見つかるのか、楽しい人生を送れるか、というテーマだが、もちろん万人向けの答えはない。ただし、考えを深めるヒントが散りばめられている。
著者の書くエッセイは素朴に思考していくスタイルで、そこが気に入っている。奇をてらったり、難解な言葉で煙に巻く部分がまったくない。
いくつか印象に残った部分を記しておきたい。
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他者に見られたい「自分」と本来の「自分」とのギャップは、個人的な悩みの代表格。解決するには、虚像的な自分を修正するか、実像の自分を修正するか、あるいはその両方によってギャップを縮めるしかない。
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自分について考えても自分のことはわからない。もっと周囲に変化を向ける。
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現代はお膳立てされた楽しみが多すぎる。お手軽な娯楽や仕組まれた趣味をやっても、自分自身は変化しない。だから楽しくない。
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なにか楽しいことはないかなと探している人は、それほどつまらなそうではない。楽しいことを探さない人がつまらなそう。与えられるのを待っているのが習慣になっている。
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楽しさを探す行為は、自分を探す行為と同じ。
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向こうから近づいてくるものは楽しくない。こちらから能動的に近づいて行くものの中に楽しさがある。
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「できない」という人は、目標が具体的すぎる。もっと抽象度をあげて、どこに楽しさを感じるかを考えてみれば、実現する道が見つかる。
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意見の違う他者を排斥すれば、同時に、他者から排斥される疑念をもってしまう。よって、他者を排除すればするほど自己は不確かなものになる。
意見の違う他者を尊重すれば、同時に、自分についても「そうか。僕はどうしてもそう考えてしまうんだな。しょうがない。」と受容できるようになる。自己は確かなものになる。
つまり、他者に対する態度と自己に対する態度は、まったく同じ。
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勝ち負けの楽しさに明け暮れていると、やがて「人の不幸が楽しい」という感覚になる。
楽しさとは他者との比較にはない。強いて言えば、過去の自分との比較にある。
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仕事選びは抽象度をあげる。
具体的な職種にこだわるから、好きな仕事につけないという話になる。
自分の楽しさを掘り下げていけば、どんな仕事でも楽しさは見つけられる。
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人に話せるものの中に楽しさの本質はない。伝えられるのは固有名詞や状況だけ。楽しさではない。人に伝達するというのは少し忘れたほうが良い。
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楽しさを味わうためには計画的でなくてはならな。
なぜなら、その計画が面白いから。
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金が楽しさを生むのではなく、楽しさが金を生む。
ここを間違えなければ大丈夫。
満足度:A
たまに読み直したくなる。